

2022年8月、浴衣着方会を行いました。友人たちに浴衣の着方をお伝えして、一緒に江ノ島に遊びに行きました。 松永
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2022年8月、浴衣着方会を行いました。友人たちに浴衣の着方をお伝えして、一緒に江ノ島に遊びに行きました。 松永



荻窪駅南口(JRもしくは地下鉄丸ノ内線)からエスカレーターで地上へ出ると、南口仲通り入口があります。そこを入って数十メートル。右側のビル。地下1階が居酒屋の一休。会員になるとお得なことがいろいろあります。鶏の手羽先の唐揚げが美味しいです。少し前ですがランチもあり(今もあるのかな?)リーズナブルです(^_^)
2階の星乃珈琲店。チエーン店ですが、ここの店は中が広く、大きな広間のような部屋やら、個室やら(行った時に指定して、空いていれば通れるそうです)いろいろあって魅力的です♡待ち合わせに最適ですが、細かく「どの部屋にいるよ」、まで伝えないと、相手は迷うかも(^^) 珈琲の呼び名が素敵です♡私はいつも、「織姫」を頼みます。あまり強くないソフトな味です(^^)
向かい側の鳥良商店。ここも手唐揚げが美味しいです。何度かテイクアウトしました。オミクロンで5度目の蔓延防止法が出たとき、閉じていましたが、6月後半に行っ後半復活していてほっとしました。
行き過ぎましたが、左側の一番入り口のココカラファイン。ここはとてもシャンプー等の種類が多くて重宝です♡
マンホール蓋


小田原には個性的なマンホールが多くあります。ここにご紹介したのはほんの一部です!また増やしていきたいと思っています。 (松永)



小田原まちあるき本番は2021年11月28日に行われました。歩いた内容は、下見で見た内容とほぼ変わりませんでした。(下見を少し減らした内容です)
無事終わった後、お手伝いのスタッフでヒストリアの近くのおそば屋東喜庵で打ち上げをしました。前に食べたことのあるお店(小田原まちあるき~グルメ・歴史~😉🍴参照。2021年9月 https://wp.me/pdnvMf-a。)でしたが、今回も大変美味しかったです。11月末の夕方なので皆鍋焼きうどんでした。その日を振り返るとともに、「水がいいから小田原のお蕎麦やうどんは美味しいのだろう」そんなことを話しながら食べました。 (松永)


松永記念館は、昭和の電力王、松永安左衛門が長年にわたり収集してきた美術品を公開するために、昭和34年(1959)に建てられました。安左衛門の没後、土地と建物はは小田原市に寄付され、小田原市郷土文化館分館として公開されました。国の登録有形文化財です。
安左衛門は茶道では「耳庵」と称し、「最後の数寄茶人」とされました。老欅荘は、耳庵・安左衛門が晩年を過ごした別邸です。 敷地内には、同じく国の登録有形文化財である、葉雨庵(三越の社長などを歴任した野崎幻庵の茶室)もあり、11月28日のまちあるき本番では訪れました。 (松永)





竹の道は、小田原市と市民ボランテイアによって整備された小径です。香林寺から古稀庵までのわずかな距離ですが、竹垣にはさまれた上を竹林が覆っていて気持ちの良い散策の道になっています。

皆春荘は明治40年(1907)、第二十三代内閣総理大臣清浦奎吾によって土地が購入され、別邸として造られました。 後に南に隣接する山県有朋の古希庵の別庵とされました。現存する山県有朋の別邸の建物としては唯一です。優れた数寄屋造りの建物で、平成28年(2016)3月に小田原市の歴史的風致形成建造物に指定されました。
庭園内に流水を設けるために山県水道を開いています。
毎週土曜、日曜日および祝日の午前11時から午後3時公開。(公開日・時間は変わることがありますので小田原市文化政策課・tel:0465-33-1707までご確認ください)
明治・大正期の実業家、大倉喜八郎(男爵)が建築した別荘です。初めは共寿亭と言いました。国登録有形文化財です。この建物は、外観は御殿風で、内部は瀟洒な造りです。関東大震災でもほとんど損傷がなかったそうです。3500坪ある庭園は京都御所を模して造られました。現在は公開されていません。 (松永)







古希庵は明治の元勲、山県有朋が明治40年(1907)70歳の時に造った別荘です。明治20年(1887)に新橋から国府津間の鉄道が開通すると、暖かく景色の美しい小田原は別荘地として人気を高め、大正12年(1923)関東大震災に遭うまで別荘が盛んに造られました。市内にはほかに、伊藤博文、陸軍大将瓜生外吉、榎本武揚、長谷川如是閑、増田孝、大蔵喜八郎らの邸宅や別荘がありました。
相模湾と箱根山を望む古希庵は、山県の所蔵だった目白椿山荘や京都隣隣庵と共に近代日本庭園の傑作と言われています。
現在はあいおい保険小田原研修所となっており、毎週日曜日の午前10時から午後4時まで参観できます。入園料は100円です。
紅葉が見事で11月末頃が見頃です。 (松永)




お昼は板橋駅近くのはつ花で。美味しいおそば屋さんでした。上の段真ん中の写真にあるように、そば・うどんの量は好きなように注文できます(^^)美味しいうえにきめ細かいサービス!人気店のはずです!
もうへとへとに疲れていたので、お蕎麦は本当に美味しかったです(^^) (松永)



小田原用水は、箱根の芦ノ湖を源とする早川の水を小田原市板橋の水取り入れ口から取り入れて水路を作り、城下や城内へながした上水道です。水路は旧東海道に沿っています。飲料水のほか、非常用やかんがい用水(川や地下水などから水を引き、農産物を育てるために田畑に給水するための水)にもあてられたようです。
北条氏康(1515~1571)が、小田原城下に水を引くためにつくったと考えられており、日本最古の上水道と言われています。
江戸にも神田上水などがありますが、これは、徳川家康が秀吉の小田原攻めに参加した折りに小田原用水を見てつくったものだとされています。きれいな水がながれており、小田原の町並みに風情を添えています。用水沿いに新しい店や工房も生まれているようです。




小田原用水を採取した場所が残っています。上の写真です。また小田原には、荻窪用水という流れもあります。
板橋、荻窪など、東京都同じ地名があるのも不思議な感じがします。(^^) (松永)
なお、小田原南町会長でヒストリアにいらっしゃる金子不二夫様に、「小田原用水」についての解説を書いていただきましたので、以下にあげておきます。 (松永)
小田原用水
小田原用水(早川上水)は北条氏綱が早川の河口(板橋の上)から山王川の下流まで(落差20mくらい)
小田原市内に水を配った、日本最古の隧道と言われています。
参考 小田原用水【小田原城街歩きガイド】 (scn-net.ne.jp)
氏綱は日本各地に同じような用水を作った(北条家ゆかりの班などに)
神田上水も家康が真似て作らせという説も
荻窪用水は江戸時代後期(1782年~1802年)に大久保藩が農業用水として作らせた、川口広蔵(山北町の百姓)の尽力により完成。田畑を潤した。
小田原・荻窪用水 – 60歳からの眼差し (goo.ne.jp)
取水口は小田原用水より上流の湯本町塔ノ沢から自然勾配を移用し、入生田、風祭、板橋の山の㊥腹を通り、荻窪村へと水を流した。
山縣有朋の山縣隧道は風祭の山腹に1300トンの水を貯めるすり鉢をひっくり返したような貯水池を作り、そこから板橋の古稀庵までサイフォンの原理で鋳造管で水を送り、最終的に閑院宮邸まで水を送った。
山県水道水源池(神奈川県小田原) – 水辺遍路 (hatenablog.com)
(金子不二夫)