杉並大宮八幡宮まち歩き⑥

源義家公お手植えの松の遺跡

共生の木

源義家公お手植えの松の遺跡

 大宮八幡神社の境内は広く、いろいろな末社や遺跡があります。「源義家公お手植えの松の遺跡」というものがあります。源義家は源頼義の長男で、源頼朝や足利尊氏の先祖にあたります。源氏は清和天皇の血を引くので清和源氏と呼ばれますが義家はその中でも河内国(大阪府)の生まれで河内源氏と呼ばれる一族です。河内源氏は武闘派源氏を最も多く出している一族です。清和天皇から数えて頼義は4代目。武勇に優れていました。

 義家の出生は諸説ありますが、長暦3年(1039)とする説が有力です。7歳の時に山城国の石清水八幡宮で元服したことから八幡太郎と呼ばれます。父・頼義が安部氏と戦った前九年の役では大敗も経験しながら頼義は安部氏を破りました。義家は白河天皇を護衛する役となり、初めて束帯(朝廷での正式の装束)でなく布衣(ほい。普段着)で弓矢を持って警護にあたり、貴族の間で評判となりました。動きやすさからいえば当然のことですが、伝統を重んじる朝廷では実行するのは勇気が必要だったことでしょう。その後は甲冑を着けて白河天皇を警護するようになり、後の「北面武士」の下地にもなったと言われています。

 永保3年(1083)陸奥守となった義家は清原氏の内紛に介入して後三年の役が始まり、奥州を平定しました。朝廷は義家になんの恩賞も与えませんでしたが義家は自分の私財で部下の功に報いました。義家はその行動と武勇により部下の信望を集め、東国における源氏の勢力を拡大しました。その後白河法皇の信任が厚く院昇殿(法皇の御殿にくつを脱いで入ること)も許されました。

 義家が後三年の役で奥州平定の帰りに勝ち戦のお礼に大宮八幡宮に参拝し、千本の若松を寄付しました。江戸時代には新井白石が感嘆した程の巨木の林になっていました。義家ゆかりの鞍掛の松は後に写真も載せますが表参道門前町商店街の中程にあります。

 大宮八幡宮は源頼義が奥州へ出陣の際、この地で白雲が八つ幡のように立つのを見て勝利をおさめられたことから、この地に源氏の氏神である八幡神を祀ったのが起源とされます。その源頼義と義家父子を祀ったのが境内の白幡宮です。   松永

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