小田原まち歩きー下見③

伊藤博文像
妙経寺
正恩寺
大蓮寺

 国道一号線を渡って妙経寺の前を通りました。ここは本亀年間(1501~1504)の創立。日蓮宗。鏡信一刀流西原相久の墓があります。郡司成忠(ぐんじなりただ・しげただ)終焉の地。郡司成忠は北千島の探検・開発に尽力しました。郡司の兄は実業家の幸田成常。小説家の幸田露伴は弟。

 正恩寺の前を通りました。浄土真宗大谷派東本願寺の末寺です。門は木造・入母屋造瓦葺の楼門(寛政5年ー1793に3人の小田原の大工によって建てられました)で、上層には寛延3年(1750)に鋳造された梵鐘がありましたが、昭和18年に供出されたままとなっています。

野村靖(神奈川県令・県知事。貴族院議員。内務大臣)の屋敷跡を見ました。野村の娘は伊藤博文の最初の妻となったスミ子です。

 滄浪閣跡の伊藤博文銅像を見ました。伊藤ははじめここに別邸を建て、妻スミ子と暮らしていました。スミ子の実家が近いのでこの土地を選んだそうです。ここで明治民法の草案を作成しました。しかし、攘夷派から命を狙われていた伊藤は、かくまってくれた下関芸者のお梅のもとへ頻繁に通うようになり、お梅は伊藤の子を妊娠しました。

 伊藤はお梅の両親を訪ねましたが、正妻で無ければ伊藤の元へやれないと言われ、スミ子と離婚してお梅と結婚しました。さすがにスミ子の実家の近くのここは居心地が悪かったのか、伊藤は滄浪閣を大磯に造り直します。つまり、滄浪閣は大磯と小田原と2カ所あったわけです。女好きだったと言われる伊藤博文らしいエピソードです。

 大蓮寺の前を通りました。浄土宗。小田原七福神巡りのひとつで福禄寿が祀られています。                              (松永)

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