白秋童謡館




からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ からたちのとげはいたいよ 青い青い針のとげだよ(白秋の童謡「からたちの花が咲いたよ」より)

赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた (白秋の童謡「赤い鳥」より)

小田原文学館の和館は白秋童謡館となっています。(北原白秋は1885年に福岡県柳川の大きな商家の息子として生まれ、1942年11月2日に杉並区阿佐谷で亡くなりました)白秋は1918年に小田原に移住しました。2番目の妻、章子が一緒でした。
最初の妻俊子は隣家の人妻でした。白秋は彼女と恋に落ち、俊子の夫にそれを発見されて牢につながれました。出獄後示談が成立し、俊子と結婚しました。しかし派手好きな俊子は白秋の両親と折り合いが悪く、ついに白秋は離婚を決意しました。世間は白秋の不倫や投獄されたことを重く見て白秋は仕事がほとんどなくなりました。次の歌は俊子との恋愛をうたったとされます。
君かへす朝の舗石さくさくと雪よ林檎の香のごとくふれ
小田原時代、白秋は鈴木三重吉から雑誌『赤い鳥』に童謡を書くよう依頼され、名作を次々生み出しました。それまで市川や小岩などに住んで赤貧洗うがごとき生活をしていた白秋の生活は次第に豊かになってゆきました。逼塞していた時代にも白秋は歌を作り続けました。次の歌は不遇な時代の作です。
昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり
この妻は寂しけれども浅茅生の露けき朝は裾かかげけり
白秋は小田原伝肇寺(でんじょうじ)の一室を借りて住んでいましたが、その境内に家を建てました。白秋はその家を〈木菟(みみずく)の家〉と呼んでいました。住宅の隣に山荘を新築してその棟上げの日に妻章子と新聞記者との仲を疑うことになる失踪事件(誤解が元だったようです)が起き、白秋は章子と離婚します。
やがて3番目の妻、菊子と再々婚して小田原にそのまま住んだ白秋は子供にも恵まれ、その子のために童謡をますます作るようになりました。そのような白秋の小田原時代の写真や原稿、〈木菟の家〉の模型などが白秋童謡館1階には展示してあります。次の歌はこの時代のものです。
草生には出で入る子らが二人ゐて昼ふかきかなや大き星見ゆ
白秋童謡館2階では白秋の歌を歌う児童や女性の合唱をモニターで見て聴くことができます。 (松永)
