小田原まち歩きー下見12

小田原用水

 小田原用水は、箱根の芦ノ湖を源とする早川の水を小田原市板橋の水取り入れ口から取り入れて水路を作り、城下や城内へながした上水道です。水路は旧東海道に沿っています。飲料水のほか、非常用やかんがい用水(川や地下水などから水を引き、農産物を育てるために田畑に給水するための水)にもあてられたようです。

 北条氏康(1515~1571)が、小田原城下に水を引くためにつくったと考えられており、日本最古の上水道と言われています。

 江戸にも神田上水などがありますが、これは、徳川家康が秀吉の小田原攻めに参加した折りに小田原用水を見てつくったものだとされています。きれいな水がながれており、小田原の町並みに風情を添えています。用水沿いに新しい店や工房も生まれているようです。     

                      

 小田原用水を採取した場所が残っています。上の写真です。また小田原には、荻窪用水という流れもあります。

 板橋、荻窪など、東京都同じ地名があるのも不思議な感じがします。(^^) (松永)

 なお、小田原南町会長でヒストリアにいらっしゃる金子不二夫様に、「小田原用水」についての解説を書いていただきましたので、以下にあげておきます。  (松永)

小田原用水

小田原用水(早川上水)は北条氏綱が早川の河口(板橋の上)から山王川の下流まで(落差20mくらい)

小田原市内に水を配った、日本最古の隧道と言われています。

参考  小田原用水【小田原城街歩きガイド】 (scn-net.ne.jp)

氏綱は日本各地に同じような用水を作った(北条家ゆかりの班などに)

神田上水も家康が真似て作らせという説も

荻窪用水は江戸時代後期(1782年~1802年)に大久保藩が農業用水として作らせた、川口広蔵(山北町の百姓)の尽力により完成。田畑を潤した。

    小田原・荻窪用水 – 60歳からの眼差し (goo.ne.jp)

取水口は小田原用水より上流の湯本町塔ノ沢から自然勾配を移用し、入生田、風祭、板橋の山の㊥腹を通り、荻窪村へと水を流した。

山縣有朋の山縣隧道は風祭の山腹に1300トンの水を貯めるすり鉢をひっくり返したような貯水池を作り、そこから板橋の古稀庵までサイフォンの原理で鋳造管で水を送り、最終的に閑院宮邸まで水を送った。

   山県水道水源池(神奈川県小田原) – 水辺遍路 (hatenablog.com)

                              (金子不二夫)

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